HISTORY

About American Club House

アメリカンクラブハウスについて

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東京生まれのスペアリブは最初から柔らかかった

1979年10月、創業者の古山伸之がアメリカンクラブハウスの前身であるファスターをオープンする以前の話。

明治屋の監査役であった磯野謙蔵氏のガーデンパーティーにスペアリブを用意するよう、明治屋直営のフレンチレストラン「モルチェ」の料理長に要望があった。

しかしそれは、当時勤めていた従業員を含め料理長でさえ聞いたこともない特異な料理だった。
そこで各方面から情報を収集し、スペアリブとは豚のあばら骨の周りに付いた肉を焼いて食べる骨付き肉の料理ということがわかった。
そこでさっそく肉の卸問屋に尋ねたところ「日本の解体の方法はアメリカとは異なり、日本ではあばら骨の周りに肉は残らな
い」。

つまり当時の日本にはまだ存在しない食材ということだった。

結局その時は、スペアリブをアメリカから輸入して提供することができ、当時モルチェに多少関わっていた古山はそれを機にスペアリブという料理を知り興味を抱いたのである。

日本では、骨には鶏ガラや豚骨のように旨みが多く含まれているというイメージがあり、骨付き肉という珍しい食材に可能性を見出したのだが、肝心の食材が日本では手に入らなかった。
半ばあきらめかけていたころ、友人の実家である地方の食肉卸業者に相談をしたところ「骨付き肉で良いのなら、肩の部分が規格外(当時)で市場に出せなくて困っている」という話を聞き、それを上手く活かせないかという所から今日のスペアリブの始まりとなるのであった。

問題はまだあった、それは料理の肝と言える味だ。まず塩コショウで焼いてみると肉は硬いうえに脂っぽく、お世辞にも美味しいとは言えなかった。
日本でいい肉と言えば、柔らかくてジュージーで旨みが多く含まれているというイメージがあるので、このままではとても受け入れてもらえないと考え、どうしたら日本人好みにアレンジできるかを試行錯誤した。

こうしていくつもの課題を乗り越え、日本人好みの余分な脂を落とした、柔らかくてジューシーで旨みを閉じ込めた全く新しいメイドインジャパンな「東京スペアリブ」を生み出した。

マンガで見れるお店の歴史

日本で初めてのスペアリブ ”東京スペアリブ” ができるまで
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​PART1〜出会い編〜

​PART2〜苦悩編〜

PART3〜完成編〜